展示・木曜日




ライブペイントのためのスチレンボード設置 ・メディウムで下地処理
来客数
午前 2人
午後 5人
式田さんから頂いたアドバイスも含め
書きたいのだけれど、もう家を出ないといけないので
また後日まとめます。

-------------------追記(11/25)------------------
B1スチレンボードを三枚、世界堂袋にいれて
駅に向かった。まるでバスを運転しているかのような
前後の把握の難しさ。そしてここぞとばかりの強風に
煽られホームからスチレンボードが落ちそうになる。
教訓;例えどんなに大きくても軽いものはあっという間に流される。

この日は朝から俺が一人で何から何までやるのだ。
MACをネットにつないだりつないだりつないだり。
とにかくMACとの格闘だった。

平日は人はほとんど来ないことがわかってきたので
自分のペースでパネルも設営することができた。
虫ピンのようなものをパネルごと壁にうちこむのだが、
これがやっぱりうるさい。人がいないのが幸いだ。

ライブペインティングスペースを作ったものの
一応、仮想現実画想展である印はなくてはならないだろう。
というわけで 色鉛筆で「電子の塵、ほこり」をまわせてみた。
その中で生きる、佇むものたちが 多分、適当に、いろんな
人によって描かれて いくに ちがいない。
式田さんがたびたび様子を伺いに来られていた。
スペースの真ん中あたりでまじまじとぼくの絵を見つめ、口を開いた。
『この ひまわりの絵なんかはけっこうみんないいって言ってた
でも キャンバスの絵も、ボードの絵もそうだけど このままでは
完成度が低いんだ。』

完成度と聞いてぼくはかきこみが足りないのかと考えた。
でも違った。完成度というのは展示の仕方も含めて
絵の内容がどうこうだけではない、立体的な側面も考えた上での完成度ということだ。
お客さんがその むきだしのボードを手にして持ち帰る、飾る、買うというときに不安の
残るものだということだ。わかりやすい例えでいうと 金属のオブジェがあったとして
それがとがってたらお客さん怪我するけどどうするの?みたいな感じだ。
額をつけるなり、何か自作するなり、キャンバスの側面まで
しっかり描き込むなりしないと それじゃ製品じゃなくて半製品だということだ。

もうひとつは自分ではしてやったぜとおもってたジークレー印刷について。
『デジタルでプリントするならそれ相応のすごさ、目新しさがないと
絵の具でかけばいいのにって思う。』
デジタルプリントのすごさか・・・。ジークレーって原画の再現性とかが優れてるというのは
知っているけれども ただ印刷しただけじゃ、そこに既存の印刷技術を超える新しい
何かを感じられないってことかしらね。それで自分は上からアクリルで加筆したのだけれど
そこで満足してるようじゃまだまだ足りないと思った。唯一無二のものを作れと背中を
ドンっておしてもらったようなそんな気がした。
プリントのことも完成度のことも、言われなきゃ気づかないし意識もしないし
真の第三者のアドバイスをいってもらえる機会ってのは お金を払ってでももらえと思った。
今回の展示は自分にとって気づいたり気づかされたことの連続で
みんなにこれでもかというぐらい たくさんのこともらってるんだけど
いいのかなw 一人で得してるかんじがする。
関連してNinko Ouzou展 記 臆(オクスルコトナクシルス)展の出来事2と
地下で行われている刷り氏岡部さんの版画作品の展示もからめて
版画とデジタルプリントについての話もしたいのだけれど
これももう少しまとめてから書きたいと思う。

後半、仕事途中に寄ってくれたとみーが登場。
自分の絵の解説をしろといってビデオカメラを回すトミー。
ちょw ほかの絵とかは直接撮ったらだめだからな、そうそう。おれのところだけ撮って。
絵の説明を直感的に いい感じのすべりだし口調で話す俺。
冴えてる。この空間にいるときは別人か。
いい映像がとれたにちがいない。永久保存だ。
カフェに寄る。グラスの中で揺れるロウソクの火。
カフェオレとたっぷりのダージリンティー。
ビデオを再生する。やばい、最高の見せ場にカフェの店員さんも目が離せないだろう。
とみーがニヤッとして言った。
「あ、音しか撮ってなかった。」

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