火曜日

リアル

ぼくには いこ先生という友人がいます。
奈良にいる人です。コミュニケーション手段はチャットです。

なぜいこ先生なのか、少し長くなるし、後半になればなるほど重くリアルな話になります。
興味がある方だけ読んでください。

木村いこは かつて自信のない人でした。
絵にも私なんて・・という部分が見え隠れする人でした。
その一歩下がって自分達に接してくるところがいこのいいところでもあるのだけど
当時ぼくはそれはちゃんと立っていないという感じがしていました。
2005年あたりのぼくは、そんないこにイラストレーターの心得みたいな
ネットで調べたこととか、ポートフォリオについてのことを先輩のようにして
語ったことを覚えています。

いこはその後、地道にデザインや広告のポスターなどのイラスト
の仕事をこなしながらすこしづづ進んでいきました。

一方ぼくは当初イラストレーターになるという宣言をして、進んできたのですが
2006年あたりから派遣の仕事をしながら、なんかアーティストのようなものになるようななって
いないような活動をするようになりました。さらにかつて自分が好んでいた
コミックやイラスト的なものが恥ずかしいみたいな感じで逃れるような形で、
なんかよくわからないアートたぶんアートだろこれというものを推奨するようになりました。

そして・・
木村いこは家庭の事情や数々の困難を乗り越えて
そのたびに イラストレーター、時に漫画家として成長を遂げてきました。
今年 ついに絵本にも絵が使われ、現在 多数の絵の仕事の依頼があるそうです。

今日 いこ先生にこう聞かれました。

『sukechanは絵でどうしていきたいのですか
ずっと遠い未来ではなくて たとえは ここ5年以内に
自分は絵描きとして どうありたいのか とか
リアルに』

ぼくはこう答えました

「絵を発表して作家として食べていくのが目標だった」
いきなりの過去形です。
「(展示して発表するのはいいけど)これ、ただ自分が消費者としてやってるだけじゃんって
 おもいはじめた」

そんな自分にいこ先生は、前にもいったけど銀座とかちゃんと見てもらえる場所で
やったほうがいいということを言いました。

「展示のたびに そんな大きなものを運んだりすることを 
したりすることにたいして 得た喜びより、このまえの ヴェジタル出版に載った
自分の絵のほうが 喜びがおおきかった」

ぼくが展示した絵よりも、本として印刷された自分の絵のほうが魅力を感じた。
というのはこのことなのかもしれません。もちろん二回のグループ展で nekoさんの
絵はすごく輝いてました。ぼくはどっちの展示もみんなにnekoさんの絵をどんどん
見てほしかったのです。だけど、自分の絵はむしろ見てほしくなくて
それでグループ展のお知らせも一馬力ではしませんでした。派遣でお世話になっている
営業の方にも展示のDMを出しますよと言っていたのに出しませんでした。
それは全員に出し忘れてたみたいなかんじでごまかしたのです。実際、全員に
出していません。

『いこから見ると sukechanはどっちを見てるかわからない』
もしもぼくが自信をもって進んでいるならこんな言葉まったく意に関しないでしょう。
ですが、いまのぼくにはこの言葉が脳天につきささりました。

『若い人はいいけど、
そろそろちゃんとどうしていくか見て行かないと
 本当に これから辛いと思うの
Wさんに言われたことを見ないでいるのもいいけど
 じゃぁ 自分はどうしていくか ってのを
 現実的な目線で見て行くこと大事だと思う』

そのとおりです。表面上の言葉がイラストからアートに置き換わっただけで、
5年前のあの暗黒状態からなんら変わっていない気さえしてきました。
ぼくは、なんとか自分の頭を総動員して 選択肢をもう一度自分で簡易的に作りました

①銀座のきちんとした画廊にいく 
②イラストレーターとしての活動として出版社等への持込をとことんやる 
③残業のありすぎないところへ就職して絵を描き続ける
④クリエイティブ系に就職する 
⑤一生フリーターをして絵を続ける 
⑥首をくくって死ぬ

この選択肢を作ったときに、少し頭が回転してきました。
年を食ったときにつらいよといういこ先生にたいして
ぼくはnekoさんの言葉を若干借りてこう返しました

「それはさ、いこがまだきていない膨大な未来へたいしてのイメージで
 恐怖にしばられて ものをいっているきがする」

『ただ やっぱ 自分の年上の人を見た時に
体の衰えとか 身にしみて感じてる人がけっこういるから
そうなった時 自分はどうなのだろうって思う
恐怖はない  ただやっぱ 今のままではいけない気がする』

これは、sakubaさんの家にいって話をしたときに
sukechanは年齢的にそろそろ方向をどうにかしないと辛いよ
といわれたことと 同じような気がします。しかもあの尊敬する作家である
すごい物を作リ続けてるsakubaさん本人が言うのです。
ぼくはむしろ今のままどんどんやれって言われるのだとおもってたから不意打ちでした。
作家で居続けるのは並大抵のことではありません、おそらくトキヤが
『おれはsukechanみたいにやりたいけど、そうしてたら消えてしまう。』
というのはsakubaさんの近くに居続けたから、人生を知っているから
わかることなのでしょう。おそらく二人はぼくの眼に見えているイメージの亡霊
をかぎとったに違いありません。

ピクフェスでとろんさんと話したときにも、とろんさんが抽象作家としてやってた時期があった
(誤解してたらごめんなさい)けどあるとき壁にぶつかったと。
年をとるほどまわりにちゃんとやってる作家がいなくなっていくということも聞きました。

ぼくはいこ先生と話しているうちに一つの自分がみえてきました
sukechan=絵で世界征服をするといっておいて でもなんか絵をかいてるだけで からまわりしてるひと

いこ先生と話しているうちに絵で世界征服をするというのは
まずもっと世界の人に自分の絵をしってもらうことになるということがわかりました。

そのためにどうしたらいいのか、ぼくはまた頭を少し回転させて選択肢を作りました

①海外に行く 
②アマゾンオンデマンド印刷出版をする 
③直接海外のイラストレーターにきいてみる 
④1万人ぐらい人を殺してみる 
⑤日本で有名になる

もっと具体的にとおもったとき、
僕の頭に今やりたいことが浮かびました。
絵本、大人の絵本みたいなものです。
いこ先生はサイヤ人を諭すような感じでやさしくこういいました。

『世界征服の前に とりあえず これしてみよーってのやってみてもいいんじゃない?
日本で通用するかどうか ってのも確認するのもいいんじゃないかな』

ぼくが世界世界といっているのは一つの理由があります
ぼくを含め、ぼくの絵をいいと思ってくれる人はよく、ぼくが売れないと聞いて
それはまわりにいる人たちがわかってないからで、海外とかだったら
もっとわかってくれる人がいるはず という妄想をしていることです。
その中でatuさんはぼくの絵を最も評価している人の一人です。

『sukechanなら絶対やれるとおもいます、ぼくは心配していません。』
嬉しいです、ずっとまえからそう信じてくれています。

でも今のままではだめなんです。
海外とかいう以前に、日本で本当によかったら そのまま海外にも
伝わるとおもうのです。
ぼくは みづゑを買いにでかけました。そして、みづゑがしばらく発刊されてないことに
愕然として モスバーガーで4shockをしていたわけです。

そして、帰ってからいこ先生が黒田愛という作家の絵本の絵を送ってきました。
ものすごくこてこてした厚塗りのいい絵の絵本でした。そういえばはまぐちさくらこさんも
絵本賞を受賞していました。

そこでぼくは絵本賞を探すべく一年以上訪れていなかったコンペ登竜門を
再び叩くことにしたのです。たまたま、ピンポイントギャラリーというところの絵本賞を
見つけました。クリックしてページをめくっていくと・・・
なんとさっきいこ先生が送ってくれた 黒田愛さんの作品が載っていたのです。
これはシンクロ何とかに違いありません。

そういうわけで今年sukechanはまず
この第10回ピンポイント絵本コンペに応募することにします
締め切りは4/26です。

思い返せば 
大学は親がたまたまCGって文字を見つけてくれたところから始まりました
画塾は友人がいくからついていって始まりました
グラフィックコースはKOUさんに相談していくことにしました
ゲーム会社はmaenouさんに紹介してもらって受けに行きました

いつだって 他人から始まってる気がするけど
ほんとにそのときは自分で選択しているんだ

というよくある言葉を残して今日はおしまい。

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