京都の妖怪と化した@tutoaの絵を再評価してみる





お気に入りの映画message from tutoa「 私はsukechanと違う生き方をし、そしてこれからも違う方向を歩むのかもしれない。 それは私がデザイン事務所にいて、絵を描かなくなり、つまり私が転向したとか、そういう話ではないみたいだ。 この展示を見て、私の感性とsukechanのそれが著しく異なっていることを自覚的にならざるを得ない。 しかしsukechanは、精神的に私の師である。今も昔もこれからも。 そして私は私のものを作り、彼に提示しよう。 こういうことだと。私はこういいたかったのだ。 --- sukechanはダダイストなのか。 もはや絵である必要すら感じない。 しかしsukechanは、絵という言葉にこだわるだろう。 なぜなら、彼にとって全ては絵だから。 並べられた紙コップは絵か。絵なんだ。 ストリーミング配信される、ビデオ映像、自分自身それも、 ユーストリームの枠に切り取られた、絵なんだ。 そう考えて配信しているに違いない。 デジタルで絵を描いたことのある人間なら誰もが実感すること。 写真も何もかも、デジタルという土壌では等しくなる。 そして、sukechanはそれを絵だと考えた。 コラージュどころの話ではない。デジタル上で合成され印刷され筆を加えられ、さらにスキャンされ、デジタルノイズや、印刷の掠れなど瑣末、テクスチュアとして融合される。 我々はデジタル上では、全てが絵の素材となることを知った。 そしてsukechanは、その目でアナログ世界を見渡したとき、逆に全てのものが絵であると理解した。 彼のやっていることは絵の定義の拡張だと言える。 sukechanの目の前にたってみな。我々はみなsukechanの眼球でスキャンされ、脳みそでシェイクされる。 彼の目を見てみな。吸い込まれたら最後、我々はsukechanの絵の世界の住人であることを知るのだ。 彼は『絵で世界を征服する』と豪語した。 大学時代の話である。」

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