それは牧柵と呼ばれる

明日釧路を発つ。
休養は今日まで。明日から修羅となる、はず。

釧路管内で見たもの
家の前の狐、牧草地帯の丹頂、肉牛、ホルスタイン、毛並みの美しい馬
ススキのような牧草、彩度の低い野原、オレンジ色の野原
サバンナ(釧路~阿寒に向かう途中の道を空港にむかって見るとサバンナに見える)
サバンナをふらつく野犬、胴体が一部はげた白樺(しらかば)
青と赤のトタン屋根、黒いシートで覆われた牧草、湯気をあげる排水溝
潮風に吹かれながらもストリートバスケット
ビストロカフェ サングリア2の窓から覗いた絶景
潮風により錆びれゆく釧路駅前、吊るされた鮭

レストランOZの世界、鮮魚コーナーの捌いたばかりのカジカ

1位は、牧柵(リンク先のものは阿寒~釧路の牧柵ではないが)

バラ線を張っているものを指してなんと呼んでいいのか今までわからなかった。
牧場の柵だから牧柵か。その牧柵の立ち方、木の曲がり具合、間の取り方
規則性があるようでない。手を抜いたからそうなのかもわからない。
牧柵を含めた小さな牧場が一つの単位として浮いて見えたとき、
言葉の響きを聞いて浮かべるありきたりなイメージではない
真の”ぼくじょう”が浮かび上がってきた気がした。

しかし心を動かされたにも関わらず

直接的に牧場を描くことは無いのではないだろうかと思う。
描くのはこの土地に根付いた画家が描けばいいと思う。

阿部先生の作品を見て思ったことは

自然が自然と現れているということ。
核になる部分に風土の色彩や形状を
感じずにはいられない。そこで生きるものが
自然から受けた流れを見える形にする。
不思議な感じがする、自然なのに、揺るがない
個性がある。根強い、深いなにかがある。

自分は不自然なもの、不可解なもの
奇妙なものを生み出せる力が個性であると考え
その個性に価値を求めていた
が、浅い、核がないと思わざるをえなかった
核はどこにあるのか?作りだせるのか?
大量の文化を消費して右往左往して
昨日見た情報と明日見る情報を
コラージュして四季を感じず
ひとところに留まり 触れられるのは
お釣りを渡されるときのみ
飛び交う
物質物質物質!



ぼくは虎の意を借りるようにアーティの理念を拝借しながら
阿部先生に版画とデジタル出力の違いについて聞いてみた
「職人の色校正と、あとは本人のサインがあるかないかですか?」

先生は一呼吸おいた後にこう言った。

「雰囲気のちがい。」

参考
裸心プロジェクト
保護区パトロール日誌
all about japan

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