電車(出ン社)からみえるもの



emaさんのバッグを身に着けることにより
精神力と魔力のステータスが+25している自分
であったが、埼京線で久しぶりに渋谷→原宿の
路線に面した街並を見てハッとしたことがあった。

前から、なぜ『グラフィティ』 
(参考http://kccn.konan-u.ac.jp/sociology/research/05/1_9_1.html
は電車から見えるような場所ばかりで発見するのかと思ってた
茨城に向かう電車も 線路に面した壁に描かれてた

暴走族のグループ名をかいて、~見参!見たいな感じに
己の存在を知らしめるために描くとしてもなぜ そこなんだとおもった

渋谷→原宿 のグラフィティはブルーシートとダンボール地帯と
共にあった。そのときぼくのなかで何かが繋がった。
これはメッセージだ。休むことなく回り続ける電車、人、
回り続ける人、人に対するメッセージ。
路上からの反撃?日本にきた外国人へのメッセージ?
でも その電車に乗ってる人たちには そのグラフィティは
何も、何一つ伝わってないんだ、これから何を食べようかとか、早く帰って
テレビ見ようとか、また明日から仕事だよ、なんて考えの中にふと壁に
なんかラクガキがあるとか その程度なんだ
今までの俺がそう思っていたように

新宿ダンボール絵画のサイトを見なければ
こんなこと おもわなかっただろう。原宿はデザインやアートが
発展してるからなんだな、とか思って装飾としてのファッションとしての
ストリートとしか思わなかっただろう。

一体なんて描いてあるんだ!
それともその言語がわからない歯車の中の人間を
あざわらっているのだろうか。

落ち着け、子供ならどう考えるか
わかった。

「ママ、あの壁さんは電車がうるさいって言ってるよ」

かつてグラフィティが気に食わなかった点として
(でも俺のしってるグラフィティなんて極わずかで
印刷された、写真になったものを見ることも多い。
絵の原画を知らずしてすべてを知った気になっている
ようなものだ)
ただ英語書いて、字体や尖った風貌を真似してるだけじゃねーのか
というとこがあげられる。そう、ただの真似ごとなのか 魂なのか
しかし しかしおれには
その景色が一瞬で デザインフェスタを塗り替えていくように
見えたのだ。


電車の中、前方に座ってる若い女性2人の、イヤホンの音楽ごしに
聞こえてくる大きな笑い声を右に座っている35歳ぐらいの男性の
「ゥアーーーーーーーーッ!」と子供のような騒音を超える声が
一瞬で掻き消し、男性は父になだめられながら降りていく。
彼らは全員正しい。人間のあるべき姿だ。
なにものも気にせずに大声をあげることが
ぼくはもう何年も何年も何年もできずに
それは 全部 絵と文の中に

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