ほんとうのことを書く。
8年も前に作られた、ある人の漫画の1ページの絵を見てた。
自分も書き手の人もすっかり様変わりしてしまった・・・というより
姿すら確認していないのだが絵はその時に留まったままだ。
この漫画を引っ張りだしてくるまでのいきさつがあるのだけど
それは省くことにする。
当時はプライドなどが邪魔をして
素直に見られなかった絵がすっと自分のなかに入ってきた気がした。
そこには現在存在していないはずの意志が、精神がこめられてて
ぼくは心を動かされた。その重たい黒と力強い手と霊感のこもった表情と
当時のその人の文化背景と光を飛ばすセンスとそそっかしさが線から漂ってる。
あたりまえのことだけど、こんな絵はもう二度と見れない。
ほんとうにあたりまえのことをいってて馬鹿だなとおもう。
この絵をぼくがこんな風にいうことと
『男は変わらないことを相手に求める』
というのは違うことだとおもう。
この絵がよかったのに(この絵でいればよかったのに)
みたいな愚かしいことは言ってたまるかと思う。
『この絵はとてもよい。』
そう、それだけだ。
ぼくの脳内シュミレーション機能は無駄に優れていて
誰かがぼく以外の誰かのことを『かわいい』『うまい』『好き』『いい色』
といっただけで、自分には(褒められた対象と比べて)それが欠けているのだと思い込む。
そして欠けている部分を見つめているうちに、相手の現在進行中の話に対しての
CPUが追いつかなくなる。どうしてその時に、すぐに共感や同調ができないのか不思議に思う。
いや、そうじゃない。ほんとうにいいとおもったのなら 自分のことなんて二の次になる。
落ち込んでる暇なんてなくて はまぐちさくらこさんの絵みたいに夢中になるはずなんだ。
落ち込むってのは、自分がむくむくと出てきてどこかでその絵を認めていないからじゃないのか?
そんな自分すら 断ち切られる瞬間が その絵(作品)に出会ってよかったとおもえるときだとおもう。
今はそんな瞬間を自分にくれたネオンオクロックワークスを目標にしながら
ひたすらわらじを塗っている
ひたすらわらじを塗っている
ひたすらわらじを塗っている
わらにもすがる思いでわらじを塗っている
塗っただけで磨り減るわらじ
わらじよりも精神が磨り減ってる
触ってるだけで痛いわらじ
そんな新ジャンル わらじコキ
遠ざかってる気がした