Pixiv+東京デザイナーズウィーク

以前pixivフェスタに出していたこの絵が展示されます




以下 pixivサイトより転載

10月30日(金)~11月3日(火)、東京・明治神宮外苑を中心に都内およそ80箇所で開催される「東京デザイナーズウィーク」にpixivが参加することとなりました。
インテリアショップC on C.Cとコラボレーションし、「AOYAMA JACK!!pixivフェスタ@C on C.C」を開催します。


名称:「AOYAMA JACK!!pixivフェスタ@C on C.C」
開催期間:2009年10月30日(金)~11月3日(火)
開催時間:11:00~20:00(最終入場時間19:30まで)
開催場所:C on C.C AOYAMA
東京都渋谷区神宮前 5-46-16
入場料:無料
来場者にはオリジナルパンフレットをプレゼント

詳細は、pixiv開発者ブログをご覧ください。
pixivフェスタ、インテリアショップC on C.Cとコラボで東京デザイナーズウィークに参加



追記:会場の様子はこちらからどうぞ
http://p2.pixiv.net/2009/10/29/14213.html

和気さんの絵がなければ今の自分の絵はない



画;和気晃/homepage W

archive.orgの「homepage W」より無断転載

技法のサーカスみたいになったときにふと立ち返る。
和気さんの絵は重厚で質感系でコントラストがあって
でもいつもどこかにユーモアがあって温かかった。
シャア専用便器とかも馬鹿みたいだけど素敵だった。

和気さんの絵はこうやって振りかえるほうがいいとおもう。
いまでも和気さんの絵が好きだし、知ってほしいから
無断転載します。

人に絵が好きだとかファンだといわれると
嬉しいと思う反面、きっとこの人は来月には、いや明日には、いや一時間後には
自分の絵に飽きているだろう、興味をなくしているだろう、まあ見てもいい程度に
なっているだろうと予測する。なぜなら自分がそうだからだ。1日前にブックマーク
した絵がどうでもよくなってることなんてよくあることだ。だから人もそうだと思っている。

でも逆にいうと今どうでもいいその絵が明日には、一時間後には、五分後には
ものすごく輝いて見えることだってあるということだ。(だからなおさら今私の絵が
輝いていますよということを伝えてくる人はその周りに転がっているものに気づかずに
今光ってみえたものに対して反射して「光ってますよ」と言ってきただけにすぎないから、
その人の反射に今後も過度な期待をしてはいけないとおもうのだ)

また、この絵がいいとかセンスがいいとか天才だとかいうのはそれをいった本人が
音楽の趣味の良さをアピールするのと同じように、”これこそが自分”が認めた絵ですよ”
”こんなにすばらしいものをいいという自分はどうですか”という”自分”を押し通したい
だけではないのかとおもえるときがある。
~は神 という言葉の裏にそういう我があるんじゃないかと勘ぐってしまう。

和気さんの絵が好きだ。
これは2000年の絵である、9年たってもやはり好きであった。
それなら人をもう少し信じてもいいんじゃないだろうか?

ぼくは和気さんの今の絵を知らない。今描いているのかもわからない。
連絡をとろうともしていないし、もしもぼくがサイトをやめたあとに
ある時点から更新が止まったままの自分の絵が載っていて
それがあがめられていたら 何ともやりきれない気持ちになるかもしれない。
今の自分はなんなのって?いう気持ちになるかもしれない。

そうだ、自分勝手にこれから先も好きである保証もなにもなく
ただ叫んでいるだけだ。ただこの絵はネットから見ることができなくなったうちの
とても大切で好きな絵の一つなんだ。だからみんな見てくれ。

ハロウイン




靴下友達恋人家族に頼るな、仮装しろ

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コメントやポイントより今すぐにパンを
必要な人に届けてくれ
何日か前に書いた宮武さんのデザインの煮詰め方について



宮武さんはいい絵ができたとおもったらそれを数枚コピーして、そこに書き加えたり
削ったりしてデザインを煮詰める作業をしている。コンピューターを使ってもいいが
跡が完全に消えてしまうのが難点といっていた。その理屈はだいたいわかる。

送信者 2006


2006年に10冊ぐらい作って全部知人に配布して終わった本があるのだが
ここで描いた絵は原稿にインクを上から落とす>コンビニコピー>書き加えるの繰り返しで
できた絵だった。たしかに自分の絵の製作過程にはコピーによって洗練されていく部分がある
とおもった。そのままではなんだかよくわからないイメージなのだが徐々に徐々に・・・。

大学生になって絵を見せることを意識しはじめたときに、まず最初に深夜のテンションで
コンビニに絵をコピーしにいって拡大したり縮小したりしてその具合を確かめるというのも
いまおもえばその走りだったのかもしれない。
まだ、ウェブで絵を発表していなかった時の話である。
機甲天使ガブリエルの宮武さんの文章から

・イメージの浮かんだものを片端からメモ的なラフスケッチで描く
・部分でも構わず描く
・多いほどいい
・使わぬデザインストックは未来の宝、可能性の光明

かつて自分の絵、とくにデジタルで作った絵はそういうもののひとつ
だとおもっていた。けれど、ひとつで完結した『絵』と考えた途端に
デザインストックとは考えられなくなっている自分がいる。
紙上のうえであれだこれだと漠然とある物体のデザインを考え
ぐりぐり視点を変えて描いてみることへの欲求がわかない。
この本にのっている文章はすごく創作にとって大切なことが載っている
とおもえるが、”画集”だとおもってみてはいけないのだとおもう。

夢に出てきた女の子を三時間で描きあげて公園前で撮影






夢は学生の頃の夢

絵を描く>色を選ぶ作業なだけ
という気持ちが今回はふきとんでいて
描いているときの思考は絵をどうするかということよりも
夢の内容とそこにでてきた人物のことに集約してて
けれど画面にはらくがきとはちがうはっきりと描きたいものがでていた。

自分たちのような大人が女子校生のようなものをかくとき
それは「手遅れの絵」なのだとおもう
手遅れというのは、もうすぎさって二度と見れない過去のことを
掘り出して自分の目の前にとどめておきたいとおもって描く絵を指して
「手遅れの絵」というのだとおもう
でももしも目の前にいる現役の女子校生をみて描くのならばそれは
手遅れの絵ではないのだとおもう。

機甲天使ガブリエルというパワードスーツの本で
宮武一貴さんが

”常に先駆者であれ。
オマージュは慎まねばならない・・・・・。”

といっていた。
この絵はオマージュになるのだろうか。
PC再インストール実行中、ビデオカードの接触不良
携帯は家のなかのどこかに電源はいっていないまま放置
台風通過、崩壊した隣室とのベランダ区切り修復される、植木鉢割れる、ローズマリー枯れる

近隣の団地では青い花が咲きだした
花というものをいままでは”女性の”とか”お花畑”とか”植物の観察”みたいなイメージで
しかみてなかったのだけど、今日は改めて地上にあれだけ彩度の高い物体があることに驚いた。
けれどこの彩度をずっと保つことはできない。
PCの調子が悪いのはどうやらマザーボードのせいかもしれないです
復旧予定未定
業務連絡
PCがいかれてるのでもうしばらくかかります
台風来たけどだいじょうぶです
インフルエンザ対策もちゃんとしてます
送信者 フランケンシュタインの妹

榎本さんの創作イラスト本に絵を一枚描きました
rh(新刊) A4/72P/\1500/創作イラスト本

送信者 火王(可能)


送信者 金王(昨日)

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