A4の人口密度・・展示途中段階
まず上の絵はペインターで描き始めた。
サイズがキャンバス10号に印刷するためのサイズにしてある。
つまり45.5cm×53cmの350dpiである。
そして、これ以上PCでやっても仕方がないと思ったら
印刷する。ほんとはこの時点でA2サイズとか少なくてもA3サイズ
で刷ってみたいものだ。
さっきの画像をA4画用紙に印刷したものに書き加えたのが上だ。
むしろディティールなどが退化してると思う人もいるだろう。
でもこの雰囲気というか表現はインクジェット+手書きじゃないと
自分には出せない雰囲気なんだ。でも最終形態がF10号のものと、
カードゲームの絵を作る絵の途中段階の大きさが
一緒だというところにおかしさを感じる。
そして、A4を1200dpiでスキャニングする。
するとちょっとでかすぎるので調整する。
そして、これを数回繰り返した後に
キャンバスロールに印刷を業者に発注し(コーティングが必要か相談する)、
できたキャンバスロールを木枠に貼り付け
最終的な加筆を行う。
という流れです。
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その際のsukechanの心理状況
お酒を飲んで帰ってから少し頭が痛い。
明日からの労働に対して、反抗的に絵を
描くことを電車に乗りながらも考えていた。
が、絵の具を出してからが気持ち悪い
体調ではなく、色を置いてもどうにもならないような
感覚や A4というサイズに描いてどうするんだという
後ろ向きな気持ちと 90cm×30cmのアナログの絵
は一体?という疑問、その際 自分が何者なのかということを
説明しきれなかったことを思い出し、嫌悪を催し
1m60cmの大きな鏡にもたれこみ、顔を覗き込んだところ
ひどく眉間にシワが寄っている人に気づき、そのままさらに
奥にもたれかかろうとするがその先にはいけない。
そのまま「ぅああ」と言いながら3回ほどもたれかかり、
先月までの前衛的MUSICがあっという間にただの日常BGM
にすりかわってしまったi pod shuffleを床に放り投げて
人形焼をほうばりながら ヒゲは人を沢山許していたなだとか
自分のまわりの友人たちは なぜ親や兄弟や身内を大切にできる
のだろうかなどという思いが一瞬 頭をよぎりつつ
ん?結局大きな流れなんて何も感じられないじゃないか
と気づいたころに スキャニングがはじまった
このように自分の心情なら何ぼでも書けるし、読み返せるが
人の話は聞いているようで理解ができていない
やはり飛行機を使うとさっきまでそこにいた人やあったものが
一瞬で姿を消すので、それは小学校のときに感じた時間の経過の
怖さの様子にそっくりで いやしかし目の前から姿を消して移動したのは
自分なのだけど
携帯のない幕末を目指して進む維新獅子
と書いて、獅子的な骨格を描かねばならないことを思い出し
練習したものの 手塚治虫のコミカルなライオンのほうが
よっぽどそれらしいとおもい 途方に暮れ
実家に帰った途端に東京で価値があると
おもいこんでたものが どうでもいいものに化けたのか
それとも元の姿を取り戻したのか、
ただただ やはり 絵というものは どこにあっても
心臓をふっともちあげていくような
そういう存在であるとおもいました