ただ壁にとがった風の文字を描いてみたい風潮というものが
大気圏までぶっ飛ばされる感覚


今日は絵は載せない。

たしかずっと前にatuさんに教えてもらった記憶のある
新宿ダンボール絵画について
http://cardboard-house-painting.jp/mt/

文と絵が
まるで小説の『Dブリッジテープ』の主人公の台詞のように
Atari Teenage Riot - Revolution Action の
システムオペレーションをぶち壊すムービーのように
自分に突き刺さって飲み込まれそうになるから注意したほうがいい
何かを成し遂げようとしながら、しかし気持ちが弱い人は見ないほうがいい
そのほうが安全に楽しく気持ちよく生きていけるかもしれない
ぼくは見て、久しぶりに股間から内臓から胃から足元から
細胞がざわついていくことを抑えることができなかった

目の前でツバをはきかけられたり、道具を盗まれたり、さげずまれるような眼で
見られたり、常に背後から襲い掛かられるかもしれない恐怖を抱いたりしながら
絵を描いたことなんて恐らく、一度もない。ぼくが映像だと言ったように
ストリートで人にかかわることはない。ぼくが見たストリートの絵というものは
美術館で企画展と称されたものだったり、安全な檻のなかで 人々がCOOLだと
感じるようなものばかりだ。

アートマネージメントの本や
ぼくの海外へ向かう思想や
展示の人に見せるということを意識してということや
ぼくのオペレーションや
すべての 
すべてに ものすごい大きな炎があてられて
向こう側からすべてを見透かされているような
そんな気分だ

活字の装備も
先人のアドバイスも
誰かの評価も
全部ぶっとんだ

ただ 横に置いてあった おれの黒い絵だけが
おれがここに留まることを許していた
おれは東京の都市にはファンタジックな森林も
心休まる渓流も野生の動物の声も遠く、そんな
中で一体なにが生まれるんだ?と最近おもっていた
東京には面白い文化があるから、その風にあてられて
何か作ってるんだとしたら おれの芯はただ他人任せで
何一つ土台になるものがないじゃないかとおもった

だがこの負の土台で
彼らは世界を作り出した
ひさしぶりに体をえぐられた気分だ

ただ、人には人のやり方がある
おれという信号のわたり方さえ他人を利用する
ふわついた存在の多くは吹き飛ばされたが、
しかしおれの築いた表現はその業火の元でも
しっかりと立っていた 不思議だ、芯なんて
ないはずなのに  

最後にもう一度言う、私はこれを読むことを勧めない
君たちは安全に生きていてほしいからだ

新宿ダンボール絵画
http://cardboard-house-painting.jp/mt/

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また、新宿区ダンボール絵画研究会の記事紹介にあった
ホームレス文化ブログ
このまえ読んだ「進化するアートマネージメント」 の中にもでてきた
”パブリックアート”って言葉が使われてたのでちょっと気になった。
このブログを読んだあとで、http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/04topics/h18/20070314.htm
を見るとなるほど うまいイメージコントロールだとも思える。
このブログでも、「進化するアートマネージメント」の中でも”想像力”という
言葉がキーワードになっている。

ぼくはここで言われている”想像力”を具体的な例をもって
自分で体験することができた
だから なんとなく理解できる

ここでいう”想像力”とは ぼくの思っていた、この街を破壊して作り変えてやりたいという
造形的なビジョンとは違う。

つまり、このまえ書いた電車の中での1分ぐらいの間で思ったこと
あれも、実は”想像力”のうちの1つだったんだ。
 
アートマネージメント



Art Management
アートマネージメント

アート マネー ジメント
・・・
Moneyの語尾が変化して、
マネージメントだとおもっていましたが
実際はこちら→Management

進化するアートマネージメント」を
読んだ場合だと アートの管理、運営、経営、やりくり、取り扱いが
これの意味合いとしてしっくりくる。

行政機関名とか、財団法人というもの(まだよくわかってない)が
たくさんでてくる
著作権のことも載ってる
美術館と新聞社の関係、国内の美術館の情勢、企画展にかかるお金の問題
あとどうやってアート活動のための資金を集めるのかとか
こういう問題があるっていうのをわかりやすい具体例を出して書いてある
あと東京に現代美術を置けるような天井の高さのある画廊が立地的に少ないということも。
Art Complex Centerは地下の天井が高く、広さ的にも相当な大きさのものを
置くことができると、現代美術にうってつけのスペースであると式田さんが
おっしゃっていたのを思い出した。)

正直この本をぼくが読む必要があるのか後半だんだんわからなくなってきた。
すごく客観的な文章でたまに眠くなるのだ。
専門用語とか組織の短縮名とかいっぱいでてくるし。
でもでも最後の著者の言いたいこと
は魂がこもってて やっぱり買ってよかったなあとおもった。

ハンター×ハンターに例えてわかりやすく言うと
芸術家は日常の中で ””を使っています
ゴンとキルアを部屋に引き止めてるときの”ノブナガ”のような円を使ってたり
ネフェルピトーみたいな広範囲な円を使ってる人もいます
そこで 円を使っていない人は気づかない ささいな変化や感情や異常すら察知して
能力発動、人に見える、聞こえる、感じられる形にします。
これが本の中でいわれてるカナリア的存在なのかな。

能力発動のときに、変化形とか強化系みたいなかんじで。
パブリックアート(公共的なアート)という種類のなかに
地域おこし系、とか 何種類かあるんだけど
おれは ”現実社会の空間の活性化(日常を脱する)”系
じゃないかとおもった。 日常を脱する=現実~活性化
という図式はもっと噛み砕いてもらわないとよくわからないけど。
”日常を脱する”という言葉がもう、これだとおもった。
しかもその考えが 『こんな街、造形そのものから作り変えてやりたい』
というエゴイズムだったのだけど、どうパブリックなのか
考え直したい。

とにかく、この本は例が多いので あるあるwwwっておもったことが多い。
自分にとって味方になる都合のいい見方がけっこうあるww

進化するアートマネージメント」2500円

今、8時です。午前4時に寝るつもりだったのに。
これはアートなのか、それともロックなのか。
ぼくの国のGovernmemonはこう言った
「さっさと仕事にいけ」



夜、布団の外には何がいますか?



子供のぼくは布団の外の夜をなぜ恐れたのか?
感じた、もしくは想像できたからじゃないでしょうか?
泥棒、強盗、変質者?ううん、そんなつまんないものじゃないです


小さいころ、夜を越すのは大変なことでした
疲れてへとへとになっているのならば
楽しい夢のなかで沢山遊べました
でもなんだかまだ眠くないのに
家の人たちが先にみんな寝てしまったりすると
たいへんです
みんな居るのに居ない状態です
ぼくだけの意識がこの部屋にあります

僕の家はとってもとっても田舎でしたから
車の音とか人工的な音が外からほとんど入ってきません
虫や動物の声は聞こえることはあります
台所の水がぽちょんっていいます
暗いところに何か見えてしまうような気がして
ぼくはよく 顔まで布団にもぐるようになりました
こうすれば 布団の外の夜は見えません
布団の中の夜は真っ暗だけれど、
黒の色自体も違うような気がしますし
安全な気がするのです
でもでも そのうちとても息苦しくなります
少し空気をいれてやります
布団を少し自分でめくることは恐ろしいことです
そして布団の外の夜よりさらに怖いのが
窓の外の夜です

一人で暮らしてから
いつのまにか家の中の夜はこわくなくなりました
一番こわかった外の夜に
飛び出してみることにしました
近所の森は静かです
最初はためらったけれども、ぼくは
ぐんぐんと進んでいきました
だんだん怖さすらなくなっていきます
自分が黒に溶け込んでいくのがわかります
ぼくは夜の眷属になったのです




よくある光景
○お勧めの音楽アルバムを友人に貸す
○お勧めの漫画を友人に貸す
×お勧めの絵画を友人に貸す


Art Complex Center
展示で念形師に出会う。天井にはりめぐらされたクモの巣のような糸
それらにぶらさがってる多数の念形たち。糸が全体をつなげる役目
額が切り離されてただ並んでいるという展示よりもぼくの望む展示は
こっちに近い

輪派絵師団 
ライブペインティングのアイデアはライブペインティングという名前からは
どうひねってもでてこない。ろくろをまわしてる人の手元をカメラで映して
ボードにプロジェクターで投影。その半円の映像の輪郭に沿って四人の
絵師が絵を書き出す。ろくろの人はイメージとしての切りとられた模様の
紙切れを台のうえにパラパラと置いていく。四人の描く絵を時折みながら
ろくろアクションを行使していく。左側には三人の音楽部隊。右にDJ。
彼らはやっぱり動いているところを見るのが一番おもしろい。

芸術は自然を模倣するという意味が日常レベルから少しわかった気になれるブログ
http://blog.goo.ne.jp/leg_takao


今日気になった絵
こみねまりえ 「メリーゴーランド」
絵画価格¥ 2,759
部屋に飾るという視点でみたときに
ベッドルームというものがもし
ぼくにあれば これを飾りたいなあとおもった
押入れ上段に夢のようなスペースもできるなあ
という妄想をして 幸せになれた絵

絵具より塗料という名前に惹かれることもある
水性の白ペンキはジェッソのかわりになりうるのか?
ホルべインのジェッソは900mlで2200円もする。
ここの白ペンキは3,7ℓで3600円である。そして人体への害も考慮されている。
ただ、ジェッソはそれ自体の質感、粒子を含んでいるし ペンキはツルツルな
感じになってしまうのではないか? 試しにやろうにも3,7リットルも
置きたくはない。





アートメーターの今日の気になった絵 

アートメーターの絵は安い 
でも アートと社会を結ぶ良いスペースだとおもう
大枚をはたいて場所代を借りる必要はなく
芸術家、イラストレーター、画家、版画家、表現者は自分の
作品に精力を注ぐことができる。
・・・安いけど

そして駄サイクルかどうか問われたときにも
美術関係者だけとか、まわりの知り合いだけじゃなくて
より多くの人たち、たとえば普段ギャラリーなどに足を運んだりは
しないけどインターネットで 気に入った絵を買えるなら見てみようかな
とか、お店に何か絵やグラフィックを置きたいのだけどあちこち探しまわらずに
買えるところはないだろうか?といった階層への広がりをもたらすので
堂々巡りではないだろう。

ブログに絵をはりつけれるのがとてもうれしいけど
アフィリエイトになっちゃうんだよな・・
アフィリエイトにならない設定のもほしいよね


値段、気になる具合、色が 合致した作品


女子の概念がぐっとくる


こういう質感に弱い 


値段、象がなんか気になる、気球がながれていくバックの大気の流れみたいなのが気になる、色が合致した



駄サイクル
月刊comicリュウで連載されていた石黒正数さんの漫画
 「ネムルバカ」の第4話で使われた語句。
・ぐるぐる回り続けるだけで一歩も前進しない駄目なサイクルのこと。
・自称アーティストたちが『見る』『ほめる』『作る』『ほめられる』を自分たちの輪の中
 だけで繰り返す様。
・当時、4話を読んだsukechanや自己表現を行うことを生活の基盤とする人たちに
 疑問を投げかけ、反響を呼んだ。


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2008/4/19追記

アートメーターの面白い点は
購入検討の人数もでること
また、プロフィールをもった人が
絵を見ていったという足跡も
公開設定にすれば残る

質感が気になってた絵はすでに
検討中の人が現れた
「太りすぎにご用心」
絵画価格¥ 5,475
1人が購入を検討しています。

象が気になる絵は検討者が2人に。
「promotion」絵画価格¥ 2,618
2人が購入を検討しています。
触るということについて

目を閉じてください
①目を閉じたまま、どっちかの手で自分の膝など体をさわってみる



②目を閉じたまま、自分ではない他のものをさわってみる


③目を閉じたまま、他の人に体を触ってもらう


④目を閉じたまま、他の人と手を合わせてみる


①自分の手で触っているという感覚
 自分の体を触られているという感覚

②自分の手でものを触っているという感覚
③自分の体を人に触られているという感覚

④自分の手で人を触っているという感覚
 自分の手を触られているという感覚


なぜ目を閉じるのかというと
目によって判断してる 自分とほかのものの境界をあいまい
にするため。たとえば生まれてから目が見えないひとを想像
してみる。その人は自分を触ったときとほかのものを触った
ときの感覚の違いで 自分の体があるということを認識する
。ここまではモノ、他者で ここからが自分だということは
暗闇の中でたまたま手にとったものを触ることによって
ものの形が浮かんできて、これは熊の人形だとわかるとか
そういう動作をやることによって自分の立体を掴むしかない
のではないか。

②③
まず人が自分がどこまでが自分かということを探ることを
前提としているので、人とモノは別物ということにしているが
②と③は似通っている。触れたときの質感が違うというくらいだろう。


これは③と何が違うのかというと
両方がスキャンするための手だということだ
手で触ったものは人ということには変わらないが
同時に触られているという感覚も伝わってくるはず
ここで、「手」を「足」や「胴体」や「生殖器」や「頭」に置き換えても
いいとも思えるが 手以外では自分の全身をスキャンするのは
難易度が高いと思う。
結局、スキャンする手にあたる部位は目の見えない人が
最初に「手で触った足」を「足で触った手」だと解釈すれば
違う結果が生まれてくる。ただ”コンクリートの上を歩いている”のではなく、
”ざらついて硬い溝のついた部位や急に摩擦のなくなる
厚さもわからないモノとおもわれるもの上を私の体の一番端でスキャン
しながら、その端と私の中心のさらに中心にある箇所に力をいれて・・・・・”
というような説明になるだろう。

ぼくらは見えすぎている
①と②はあるが 満員電車やバーゲンセールや、なにメンチきっとるんじゃ以外で
まわりにいる群集に触れることはない。③と④はない。
するとそれはただ映像が流れているだけのように思えなくもない。
でも人は確実にそこにいる。

ということにやっと今日気づいた!
なぜ電車の中で1分ぐらい考えてたことが
こんなに長く書かないとわかってもらえないんだろう・・・
わかってもらえたかしら?
個展やります

ART Exhibition
2008 11
/17(Mon)-11/23(Sun) [ WEST:2-B ]
10:00~20:00     10:00~17:00[last day]
'nikudaruma comes from a closet.'
at
Design Festa Gallery


The first private exhibition will be performed in Tokyo in November.
It will announce for details around August.



個展  「押入れから肉樽馬」 (おしいれからにくだるま)
日時 2008年 11月17(月)~11月23(日)
    10:00~20:00
    最終日 10:00~17:00
場所 
デザインフェスタギャラリー



詳しくは、8月になってからまたお知らせすることになる。
なぜデザインフェスタギャラリーなのかもそのときにわかる。
作品も仮想現実画想展のときのように、経過を撮ってアップしたいのだが
今回は 皆にとってはじめてはいる部屋にしたい。誰かの誕生パーティの準備をして
驚かしたいという気持ちに似ている。会期まではなるべく秘密にしたいのだ。
ぼくはかつてないほどに自分のやりたいこと、やりたかったこと、楽しいこと、時間、
お金を総動員してこの展示に望むことはいうまでもない。故に11月の展示までに
つまらない不注意で事故にまきこまれることや 地球に20KM直径の隕石が激突
したりすることは起こらないということになった。

画材、支持体などについてはオープンにしていくことにする。
これらを口や写真であらわすのはとても簡単だ。
だがぼくの絵ができる段階の動作ひとつひとつを言葉で教えよう、
伝えようとするのは 原稿用紙何枚分になってしまうことか。
文章にできたとしてもそれが人に理解できるのか わからない。



寺西化学のマジックインキ詰め替え版と
ぺトロールを混ぜると、紙の上で濃淡のついた
薄墨的な境界がボケた油性塗料ができあがる
ぺトロールは揮発性なので塗ったら蒸発する
弱点は くさい×くさいだ。自分にとっては
テンションのあがるいいにおいなのだけれど。
これに木炭やチョークを溶かしてもおもしろい。 



ネオカラー+DUO(水で溶ける油絵具)
をプラスチックのヘラで混ぜたり描いたりします
これらを混合することで青みがかったネットリ
した油絵具の属性をもちつつも、アクリルの
乾燥の速さの属性ももった絵具ができます

おまけ

Mixiで知った横浜のZAIM というミュージアム
施設使用料が段違いに安い
ホールのような広さからアパートの一室程度の広さの部屋など
バリエーションも豊富
芸術家の支援ともかいてある
9ヶ月前から予約できるということは
すでに来年の1月までは予約で埋まっているということだろうか
これで俺のいいとこリストが
札幌、仙台、京都、横浜になった
ジャズドラマー:小坂裕明氏も横浜でよく演奏しているらしいし
ミッチもよく横浜の話題を出してくるし
横浜がおれを呼んでいるのではないか?
でも仙台も俺を呼んでいる
フランスも俺を呼んでいる
ノルウェーの岸辺も俺を呼んでいる
スペインの酒場がおれを呼んでいる
そして実はニューヨークもおれを呼んでいた

でも注文するのはジンジャエール


なんとなくみつけた大阪のギャラリー「キュービックギャラリー」
上からざっとみて 色がいい
こういうきちんとした空間でびしっとした展示をみると 
すいませんといいそうになる自分をぶん殴ったあとになでてやりたい
http://cubicgall.exblog.jp/

ニューヨークでアーティストとして生きる北島志織さんの活動記
http://webmagd.exblog.jp/

ニューヨークつながりで、mixiで気になる記事があって本を二つ買った。
俺の中で ニューヨークとはファイナルファイトとグラフィティと核兵器の
イメージしかなかった。しかしこの本で頭をぶちぬかれた。
「ニューヨーク 芸術家と共存する街」

プロの芸術家とは何か?という点について 
イラストレーターとイラストニ-ターの違いについて悩んだり、考えていた人間にとっても
この書は今までにない考えを与えてくれるだろう。
なぜしっかりとしたプレゼンテーションやレジメ作成の必要があるのかということも
よくわかった。こういった事情を知らずに なんだかよくわからないものをただ丸投げして
発表するな と言われても反発したくなるのは仕方ない気がする。
また、場所代を払って国内で個展をするよりも まず作品と35mmスライド代にお金を
掛けろという説を見て出足払いをくらったとしかおもえない。

だが 俺は自分の求めているリストに従い この個展に全身全霊をかける。
レジメもつくるよっ!35mmスライドを作成しようとおもったが、この本は10年前の本で
現在のデジカメ事情もずいぶん変わっているのではないかとおもった。


足りない黒





もっと黒を、と望んでいます
タールよりも黒い黒を
宇宙よりも黒くて暖かい黒を

おまけ

酒井駒子原画展
絵本屋ティール・グリーン in シードヴィレッジにて
期間:4/1(火)〜26(土)営業時間:午前10時〜午後6時
定休日 日、月 
東急多摩川線 武蔵新田駅徒歩3分
ウェブサイト http://tealgreen.exblog.jp/
アクセス http://tealgreen.exblog.jp/i4/


椚画廊 (infomation by ミッチ)
ウェブサイトhttp://www22.big.or.jp/~kunugi/index.html
カカズ勉さんの絵がやばそう
http://www22.big.or.jp/~kunugi/ex/080407.html
http://www22.big.or.jp/~kunugi/ex/kakazu04.html
うおお、カカズって 描かずして ってことなのかなあ
ネーミング的にも 弐瓶勉的な 何かを感じずにはいられな い
わかったのは 沖縄出身の画家ということ
土曜日がラスト、この日行くしかない 
2008年4/7(月)~4/12(土)AM11:00~PM7:00(最終日PM5:00まで)

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追記:2008 4/17

まず、檪(くぬぎ)画廊の住所とグーグルマップ印刷地図を
持っていったのだけれど、地図の縮尺のせいかほぼサンクスの建物付近
ということしかわからない。住所は銀座7-10-12。7丁目の10までは順調だったが
檪画廊という看板がどこをみてもみあたらない。他の画廊はあるのだが。
同じところを2周したあとに7丁目のサンクス近くの交番にいって、場所を聞いてみると
あの十字路の辺りといわれる。しかし、ない。また9丁目まで戻って町内会の地図のような
ものを見ていると あった・・・・ 地下じゃないか!!
サンクスの向かいにある カレーやソバが安い店の右にある古いビル。入り口にこじんまりとした
まとまった表札のようなものがあって そのなかの一番したのほうに檪画廊と
書かれていた。銀座は俺の庭 とか、銀座ギャラリー巡りパンフレットを持っているとか
いう人じゃないと 永遠に見過ごしそうだった。

しかし地下の展示は憧れるものがある。七針もそうだが、地下の階段を降りた先に
謎の展示空間があるというのは、ガラス張りのエレベーターに乗って見に行く
大ホールなんかよりもずっとワクワクするものである。

階段をおりてすぐそこに まず机、横長のDM、芳名録が置いてある。
いつも思うのだがイベントなどで芳名録を置いた机と座っている人という図式は
ひどく自分の精神をすり減らすものだ。特に秘密にしてることはないのだが、
Mixiの足跡をつけるのが苦手というタイプはきっとこんな気持ちなのだろう。
ちなみに檪画廊ではそこに人が座るスペースがなかった。

カカズ勉さんの作品は 巨大なキャンバスの油彩作品が1点、
他に大小さまざまな油彩のドローイング。巨大キャンバスをいろんな距離から眺めてみる
なるほど 自分が引かれたのはこの黒と謎の造形とグラフィック要素だったのだ。
キャンバスの側面をびっちり絵の具が埋めてはいなかったし、4隅の余った部位の布は
市販のキャンバスとは違って、長さが若干違うようにも見えた。それが非常に人間くさかった。

カカズさんにてんぱりながら質問をした。
どういう質問かというと、Art Complex Centerで式田さんにおそわったことに
関連する。『作品としての完成度、見せることを考えて きちんとした額装をしたり、キャンバスの
側面まで絵を描くこと』ということとカカズ勉さんの作品の見せ方はまったく違うと思ったからだ。

カカズさんは過去のDMを出して、2004年の仏像やキャラクターやグラフィティの入り混じった
絵をぼくに見せてくれた。その絵は キャンバスで描かれた巨大な空間の中に、全体の1/16にも
満たないような大きさの 額に入った絵が埋め込まれていた。カカズさんの額装への回答だった。
”文字通り枠に収まりきらない絵”がそこにあった。

ぼくはそれをきいて"わらった"  
そんなふうに"わらった"のは やすけがサラダ油で油絵を描いて以来だった
世の中のおもしろいものは簡単にみつかるものもあるけど
たまに簡単には見つからないものがあって、そこへなんとかして足でたどりつくのが
東京のおもしろいところだとおもった

http://www22.big.or.jp/~kunugi/index.html
東京



開かずの踏切を高架化する工事がすすんでます
一夜明けるごとに変わっていきます
ある日、便利が取って代わります
ある日、不便利な風景をいとおしく感じます



おまけ
仮想現実画想展でお世話になった
The ArtcomplexCenter にて

●火曜PM19:00~メチクロさんと韮澤さんのトークセッション2000円と、美学校の展示

●輪派絵師団 Art Exhibition: 「en」 りんぱえしだん生でみれる・・・やった
4/19(土)のオープニングイベントで ライブペイントが見れるそうです
これは這ってでも行く。
http://www.gallerycomplex.com/home/schedule/hall/rinpa_eshidan.html


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SHUNSAKU HAYASHI WEBSITE
http://www1.odn.ne.jp/~haya4hello/
この人は自分が24歳の時に気づいたことを
とっくに自分で気づいて実践してる

感傷だとか 風刺だとか そういうところじゃない
なにか 圧倒的な熱量を自分から発生して
絵を描いてるのではないか
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最近、いいなあと思う絵はたいてい
自分よりも年が下の人が描いていることが多い
ぼくらの



BEMSTARに晩御飯を食べにいく
ほんとに平和通りの一番奥

和室にはアクセサリの展示
ドア横のスペースもアクセサリ
照明の雰囲気がよい
ボックスにはポストカード、詩集のようなもの、小物、小さなキャンバスの絵
カウンター横の壁にポストカードのラック、ここが一番目立つ
ふと気づけばウエハラさんのポストカード、2枚ドロー
会計時、釣銭が足りないとのこと。
お釣りをあわせるためにウエハラさんのポストカードをさらにドロー

今日のディナーは 分厚いハムステーキ、目玉焼き、パン
カウンターはぼくの背丈だと少しがんばってハムを切って食べるかんじ

らくがき帳が三冊ぐらい積んである
ここのらくがき帳は非同期的なコミュニケーションだとおもう
一枚一枚めくる 

ウェブには仕事のための完成作品が
展示のための完成作品が
家には自分の絵ばっかり

かつてらくがき帳は 更新をたのしむものだった
友人のものも、初めて会ったひとのものも
男のも女のも、
あ、これはまだ見てない絵
漫画かいてるとか、これうまいなあとか
こんなところいってきたのとか
でももう退屈な授業がないから
でももう退屈な学校がないから
ぼくらのらくがき帳は更新されなくなったのだ

だから べむらのらくがき帳はとても
大切なのだとおもった
人との距離もWACOMだから



画材の輝きはモニタでくすみ、
モニタの光は紙の上で偽者になる
なぜ光を絵具に近づけようとするのだろう
光にしかできないことをつきつめようともせずに

おまけ
http://www.nettam.jp/ 
アート系の求人、アルバイト、インターン、ボランティア
TABJOB以外でもあるんだなあ

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